農民の日記(史料叢書第5巻)
国文学研究資料館史料館・編
定価(本体9000円+税)
上製本・ケース入り・A5版
武蔵野国多摩郡連光寺村(現多摩市連光寺)の名主日記「富沢家日記」を安政七年から明治二年の10年間を翻刻する。内容は、多摩地方の豪農層に関する記事や新撰組局長、近藤勇、多摩郡日野農兵関係記事及び慶応四年(明治元年)の戊辰戦争の戦争状況が書かれる中で新武隊・章義隊の動向に関する記事等を含む。
「富沢家」について
家譜によれば、畠山重忠より十三代の畠山為政がはじめて富沢姓を名のったことに発し、富沢為政より三代孫の丹下政之との嫡男修理政本は今川氏に属して、永禄三年(1560)に後北条氏の馬飼場であったこの地を攻略して支配権を得たという。この年、主君今川義元の桶狭間における討死以後、この地に定住することになった。逃散した百姓を呼び戻し、開拓をすすめて土着したのである。政本の子修理忠岐の時期、天正十八年(1590)に徳川家康の関東入部があり、慶長三年(1598)に連光寺郷の検地が行われるが、富沢家の忠岐は、検地案内役をつとめた。この地の有力者として、富沢家は忠岐以来代々連光寺村の名主を勤め、幕末にいたったのである。
(農民の日記・解題より)
【史料目次】
(1)安政七年御用留日記帳
(2)万延二年御用留日紀帳
(3)文久二年御用留日記帳
(4)文久三年癸亥日記覚帳
(5)元治改年甲子公私日記帳
(6)元治二年乙丑公私日記帳
(7)慶応二年御用留日記帳
(8)慶応三年御用留日記帳
(9)慶応四年御用留日新帳
(10)明治二年御用日新記